こんにちはユレオです。
当ブログではこれまで何度かお話してきましたが、私がブログを始めたきっかけは「何か情熱を燃やせるものを見つけたい」「20代の頃あったような打ち込めるものを見つけたい」という思いからです。
何故このように思いブログを始めたかというと、ここ数年心の底から「楽しい!」と思える事が減ったというのが根本にあります。
ブログを始めたことで今まで知らなかった知識を身に付けたことや、本を読む機会が増えたので多くの事をインプットして、同時にアウトプットすることで、知識欲を満たして充実することが出来ましたが、心の底から楽しいと感じるようになったかというとそんなことはありません。
心理的・精神的な気持ちというものはなかなか回復するものではなく、現在も回復に向けて養生しているような状況です。
ただ、こうして現時点の私の心的状況を文面に起こせるくらいには改善して,冷静に見ることが出来るようになったので、この1年でだいぶ良くなったと思います。
本日は憂鬱な気分の対策として「心理を文書化することの有意性」についてお話したいと思います。
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◆記事の目次◆
生活の中で面白い事がなくなり、楽しめていた事が楽しくなくなった
鬱病の症状でよく耳にするのは「以前楽しめていたことが楽しめなくなった」というものがあります。
これは単純に心的飽和(*)によって飽きたことで楽しめなくなったということもありますが、楽しめていたことを行っても脳がそれに対して反応できずに、幸せや楽しみを感じる脳内ホルモンが分泌されなくなったということも考えられます。
「心的飽和とは」
心理学用語。効果がみられない同一の作業を反復し続けた場合,いわゆる飽きがきてこれを続ける意志がなくなること。現象的には作業能率の低下となって現れる。飽和に達するまでの時間を飽和時間というが,飽和時間は人,作業の種類,作業場面など種々の要因に規定される。
脳内のホルモンの分泌が増減することで人の心理状況に影響を与えるため、鬱病は「脳内のホルモンの分泌が正常でなくなる病気」と捉えることができるわけです。
心理的に不安定な状況が長く続くことやストレスが原因で、脳が不健康になり機能が低下して、以前は楽しいと思えていたことを行っても、正しく幸せや楽しみを感じる脳内ホルモンが分泌されずに感情が安定しなくなります。
こうした脳の調子が悪くなる状況が長く継続したり、悪化すると人は鬱病の症状を発症します。
脳の調子が悪くなることの捉え方について、こちらの記事で詳しく触れています。
しかし、鬱病として診断されるには本人の自覚が必要であることや、病院に行き医者に診断してもらう必要があるため、多くの方がこういった状況になっても放置しがちです。
こういう理由から潜在的な鬱病の患者というのは相当多いのではないでしょうか。
私ははっきりと鬱病と診断された訳では無いですが、少なくとも「20代の頃に比べて精神的に弱り不健康である」と自覚しています。
その為、以前は楽しめていたことが楽しめなくなったことについて、「今は精神的に弱っているから」と捉えるようになり、一歩引いた視点で見るようにしました。
好きだった趣味から遠ざかるようになってしまった
私の場合は体を動かす趣味は今も楽しいと感じますが、体を動かさない趣味は楽しさをあまり感じなくなりました。
分かりやすいのはゲームですが、以前はあれだけ好きだったゲームも、新作を買っても封を開けずに積んだままということがあります。
読書に関しては以前に比べればだいぶましになりましたが、20代のような感受性の高い感覚が無く、読み終えた後の感動や満足感がかなり低く感じます。
ここ数年は本は読みえた時や映画を見た後の感動がかなり減った為、当初は「この本(映画)は面白くないのかな?」と疑ったのですが、本や映画に問題があるのではなく、私の感受性が低下しているからなんだと認識できるようになりました。
感受性や満足感を必要としない「知識や情報」を得ることを目的とした本は、今までと変わらず読むことができます。
私は現状として「ただ人生が楽しめなくなっている」だけで、仕事をして家族を養い人生を送ることについては、今のところ問題は無いようです。
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自分の心理的ダメージを認識することから始める
2017年6月からブログを始めて、ブログ記事を書くために多くの書籍を読むようになり、特に心理に関する本を新たに読んだり、1度読んだことがあった本を再度読み返すようになって、以前は分からなかった現在の自身の心的状況を冷静に判断出来るようになりました。
私は全盛期に比べるとまだまだ回復の途中で、生活に支障はありませんが、感受性も低くて本来楽しいと感じていた事を感じていない状態になっています。
しかし、こうして自身の心理的な状況を客観的に見れるようになったのは本当にここ最近です。
以前は自分が落ち込んで気分が沈んだりしても、その気持ちに飲まれて身動きが取れないこともあり、また自分が気分が沈んでいるのかも判断が付きませんでした。
しかし、今は「あっ!俺は今落ち込んでいるんだな」と”気が付ける”ようになり、「不安・恐怖・執着・怒り・嫉妬」といった負の感情を覚えても、「あっ!俺は今は○○の感情を感じているんだな」と気が付けるようになりました。
また、そうした”気が付いた時”の具体的な対応方法についても明確に判断出来るようになりました。
こちらの記事で詳しく触れています。
気が付けるようになったことはかなり大きい
私は「不安・恐怖・怒り・嫉妬・執着」といった負の感情で心が乱されることがあったら一呼吸おいて以下のように考えるようにしています。
- 私が今感じている不安や恐怖は”目の前に起きているもの”なのか?
- ”目の前で起きていない”のならば、それは「思考が勝手に思い込んでいる」だけである。
- 私自身が思考に騙されているということに”気が付く”。
人の思考は実際に起きてもいないことをいろいろと想像し、事前に危険を回避するという素晴らしい能力が備わっているのですが、その能力は時に強力に働き「起きてもいない事」に恐怖し慄き、不安を感じ、平常な心を奪います。
この内容についてはこちら記事で詳しく書いています。
こうした心理を回避する為に自分自身を一歩引いた視点で見れるようになったおかげで、冷静に状況を見ることが出来るようになり、”気が付く”ことで不用意な負の感情を抱えることが減りました。
今では「不安・恐怖・執着・怒り・嫉妬」といった負の感情を覚えても、切り離して考えることが出来るので心理的な迷走を防ぐことにつながり、徐々にですが心的状況が回復するようになりました。
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最後に
ここまで憂鬱な気分の対策として「心理を文書化することの有意性」についてお話ししてきました。
私の心理的な現状と回復に向けた取り組みや現在の傾向についてお話してきました。
本日の記事のように自分の気持ちや心的状況を文書で表現できるようになっただけでも、回復に向けて大きく進歩したことが分かります。
また、自分の心的状況を知るために気持ちを文面に起こすことで、今まで気が付かなかった”深部の心理”を引き出す事につながり、気が付かなかった不安の種や怒りの原因等が浮き彫りになる事があります。
思考の整理をするために文書に書き起こすことは有効なのはご存知かと思いますが、自身の心理状況を正確に把握するために文書化することも有効です。
もし、心が健康でないと感じている方がおられれば、こうした”気付き”への取り組みや心的状況の文書化を行い、自身の気持ちを書き起こしてみるということをお勧めいたします。
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