アドラー心理学

「何もやる気がしない」事をネガティブに考える必要は無いというお話

こんにちはユレオです。

皆さんは毎日を過ごしていて「やる気がある日」と「何もやる気がしない日」があるかと思います。

当然私も同様に感じる時があり、やる気がある日は精力的に動き積極的に行動をとることが出来ますが、やる気が出ない日というのは受動的な行動を選択することが多いです。

こうした心理や思考によって行動が変化するというのは、当然誰でも経験があるものです。

しかし、こうした「何もやる気がしない」という行動選択に対してネガティブにとらえることは無いでしょうか?

通りすがりの猫
通りすがりの猫
何もやる気がしないって良くないことだと思うけど… 違うの?
ユレオ
ユレオ
現在の社会では多くの方が「やる気がしない」ことをネガティブに捉えているね。

あなたは「やる気がある」ということを「ポジティブ=正義」と捉え、「何もやる気がしない」ことを「ネガティブ=悪」と考えたことはないでしょうか?

本日はこうしたネガティブな行動選択する際の思考や心理と捉え方についてお話したいと思います。

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人は何か行動するためにはエネルギーを必要とする

人は何か行動を行うことに対して肉体的なエネルギーである「体力」と精神的なエネルギーである「気力」を必要とします。

この体力と気力のどちらかが欠けると、精力的に行動をとれなくなることは皆さん経験上ご存知だと思います。

そして疲労が蓄積して「体力」「気力」のどちらかが一定量を下回った時に「やる気」が損なわれて積極的に行動することが出来なくなります。

こうして文面に起こすと分かりやすいのですが、「やる気がある状態」から「やる気がでない状態」に変化するというのは、「体力」「気力」のどちらかが一定量を下回り、脳が防衛本能として「これ以上身体や精神に負担がかかると危険」と察して行動を制限しようとしているだけです。

もっとシンプルに言えば「体力か気力が一定以下になったから行動を停止した」だけの事です。

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何もやる気がしないことには何らかの理由がある

疲れることで「体力」と「気力」が減少して、ある一定量を下回ると脳が防衛本能として「休まないと危険」と考えて、行動を制限しようとするわけですが、これは「腹が減ったから食事をする」「眠たくなったから寝る」というような、人が本能として持つ当たり前の行動選択です。

そして「体力」は身体的な疲労を取り除くことで回復し、栄養のある食事をとり、睡眠をとる行動選択をします。

「気力」も精神的な疲労を取り除くことで回復し、脳や血液の疲労物質を取り除く為に脳の活動を制限してこれ以上の疲労の蓄積を止めて回復を図るため、栄養のある食事をとり、睡眠をとる行動選択をします。

しかし、栄養も睡眠も十分取っているのにも関わらずやる気が出ないのはなぜ?と考える方は多いのではないでしょうか。

身体的・心理的状況は人それぞれ異なる為、一概には言えませんが、やる気が出ない状況が続くようであれば、その理由を本人が気が付いていないだけで、単純に体力や気力の回復を妨げるものがあったり、回復を上回るほど疲労する問題を抱えているということです。

気が付けていない問題を解決しなければ疲労が蓄積するだけである

身体的な疲労が蓄積して体力がある一定量を下回る状態であれば、やる気がでないことに納得感があり、人は自らの意思で「休もう」と考えますが、精神的な疲労が蓄積してのやる気の低下は「何もやる気がしないことが悪い」と捉えて、無理やり奮起して行動を起こそうと無理をします。

そして、多くの場合は精神的な疲労を軽視しがちで特に対応を取ろうとしません。

精神的な疲労については人それぞれ様々な理由があるかと思いますが、その根幹の原因というものは大体が人間関係であったりします。

人は群れを成す生き物で一人で生きていくのは現代社会においては大変困難であり、「人との関わり」からはどうしても避けることが出来ません。

人は一人で生きていけない以上、何らかの形で他人と関わりを持ち、多くの方がその関りを持つ際に人間関係が問題で悩みを抱えることになります。

アドラー心理学で有名な、アルフレッド・アドラー(1870年~1937年)は、「人間の悩みは全て対人関係の悩みである」とも言っています。

アルフレッド・アドラー(Alfred Adler)、1870年2月7日 – 1937年5月28日)は、オーストリア出身の精神科医、心理学者、社会理論家。ジークムント・フロイトおよびカール・グスタフ・ユングと並んで現代のパーソナリティ理論や心理療法を確立した1人。
初期の頃のフロイトとの関わりについて誤解があるが、アドラーはフロイトの共同研究者であり、1911年にはフロイトのグループとは完全に決別し、個人心理学(アドラー心理学)を創始した。

引用元:アルフレッド・アドラー – Wikipedia

人間関係の問題というのは根が深く、また対応が難しいものですが多くの方がそうした問題に対して悩みながらも「仕方がない事」と捉えて具体的な解決の行動をとらなかったり、「相手が悪い」と捉えて問題を長引かせようとします。

人間関係の問題というものを根本から解決することが出来れば「精神的な疲労」はやがて回復して、自然とやる気が湧いてくるものです。

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自らの選択で行動に制限をかけている事に気付くことが重要

「やる気がある状態」から「何もやる気がしない状態」に変化するというのは、脳が防衛本能として「これ以上身体や精神に負担がかかると危険」と察して行動を制限しようとしているとお話してきました。

しかしながら「やる気が出ない状態」は、本当に何もする気がしないのではなくて、目的をもって行動中であったりする場合もあります。

例えば、親しい友人から旅行に誘われたが行く気にならないというのは「お金がかかるから」ということや「疲れそうだし」という考えがどこかにあり、「友人に旅行に誘われたが行く気になれない…」という行動選択を取ります。

こうした行動を選択する際に、「お金がかかるから」「疲れそうだし」と考えていることに気が付いたうえでの行動選択であれば問題ありませんが、無意識に「友人に旅行に誘われたが行く気になれない…」という結論に達した場合は「やる気が出せない」理由がわからないままもやもやしたり、やる気が出せないことに罪悪感を感じたりします。

「なぜ旅行の誘いを断った行動選択をしたのか」という理由を、理解している場合としていない場合とでは心理的な意味合いが変わってきます。

「お金がかかるから」と理由で誘いを断るのは、今お金を貯めることが目的で「お金を貯める」という目的を実行しているからであり、「疲れそうだし」という理由で旅行に行かないというのは「体を休めて体力を回復させたい」という目的を実行しているだけです。

「貯金したい」「身体を休ませたい」と思うなら家でゆっくりして満喫すれば良い分けで、理由として明確です。
(ただ、誘いを断る理由で「お金がかかるから」「疲れそうだし」と伝えるのはお勧めしませんが…)

こうした時に良くない考え方は、無意識に「友人に旅行に誘われたが行く気になれない…」と判断して、本当は「貯金したい」「身体を休ませたい」というやりたい事をしていることに気が付かないことです。

自分が今やりたいことを行っているのに、別の行動選択をしなかった事に対して罪悪感を覚える必要はありません。

今あなたが行っていることはあなたが求めているからであって、必要なことだからであり、自分が目的をもって行動中であることに気が付くことが必要です。

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最後に

ここまでネガティブな行動選択する際の思考や心理と捉え方についてお話ししてきました。

「何もやる気がしない」時というのは誰しも経験したことがあり、そうした行動選択をするというのは必ず理由があるものです。

理由が無いのにやる気が出ないというのは単純にその理由に気が付けていたないだけのことで、理由が分かれば対処方法もおのずと見えてきます。

今自分が行っている行動には意味があり、無意識ながらも目的として選択している場合が大半で、「やるべきことを行っているという」認識は目的を達成することが早まり、また方向性がしっかりと意識できるので迷うことがありません。

やる気が出ない状態をネガティブに捉える必要は無く、その行動選択には理由があり、そしてそれが自分の目的として行動している捉える事が出来れば、自ずと気持ちが楽になり最適な行動選択が取れます。

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