健康

人生を幸せ過ごす単純な考え方|幸せや満ちた人生はどうすれば手に入れられるのか

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こんにちはユレオです。

突然の質問ですが「あなたは幸せで満ちた人生を送れているか?」と尋ねられたとして、直ぐにお答えできますか?

私は現在サラリーマンをしている30代の男性ですが、「あなたは幸せで満ちた人生を送れているか?」と尋ねられると、「どちらかといえば幸せで満ちてる方かな」という感じに答えるかと思います。

ただ、私は世間一般の方が言う30代の男性として幸せで満ちた人生を送れていかという客観的な視点での評価についてはなんとも言えません。

皆様はもし「あなたは幸せで満ちた人生を送れているか?」と尋ねられてどのようにお答えしますか?

幸せで満ちた人生なんて送れていないよ、ああ~ 幸せになりたい…

このような回答をされる方もかなりの割合でおられるのではないでしょうか?

私も以前であればら「いいえ」というようなネガティブな回答をしていたと思います。

では今ではどうかというと、先にお話しした通り「どちらかといえば幸せで満ちてる方かな」と答えるかと思います。

本日は幸せや満ちた人生を得るための単純な方法について、少し深い話を軽い気持ちで記事にまとめてみようと思います。

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幸せとは外的要因で決まるものではなく、事象を受け止める人の心で決まる

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幸せで満ちた人生を送るというのは一体どういうことなのでしょうか?どういった条件を満たせば人は幸せで満ちた人生を送ることが出来るのでしょうか?

そんなのはわかりきっている、金だよ、お金をいくら持っているかで決まるんだよ!

ほほう…なるほど!確かに人生においてお金は重要ですし、お金は計量的に測ることの出来るものなので、「お金をたくさん持っている=幸せをたくさん持っている」と測りやすいかもしれません。

では仮にお金を持っていることが幸せで満ちた人生への条件として、その基準を「年収」という誰でも分かりやすいものに例えて、幸福の基準を以下のように設定してみましょう。

「幸せな人と不幸せな人は以下のような基準で分かれるとする」

年収が上位5%は「超幸せ」の選ばれし人
年収が上位50%が幸福な人
年収が下位50%が不幸な人
年収が下位5%は「超不幸」のかわいそうな人

さて、このような基準が存在したとして、あなたに対して質問です。あなたは幸福ですか?不幸ですか?

俺の年収は300万くらいか…、どう考えても上位50%に入れていない!不幸だ…俺は不幸な人だ!

いえいえ、ちゃんと確認してみましょう。以下のリンクへ移動してください。

◆http://www.globalrichlist.com/

こちらのWebサイトはあなたの年収が上位何%の人間かを教えてくれるサービスです。

簡単な使い方を説明すると「Select location」のタブをJapan(yen)にして年収である
3,000,000円を入力して「Show my results」を押すだけです。

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さて、どういった結果が出るでしょうか? おお!おめでとうございます!あなたは上位1.67%のぶっちぎりの「超幸せ」の選ばれし人です。

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えっ……そんな馬鹿な?!…あっこれは、日本人以外も含まれているからだ!

ほほう、なるほど。では日本人だけなら上位何%に入ればあなたは幸せなのでしょうか?

えーと・・・ 上位30%くらいかな?いや、50%…? わからない…

はい、こうしてあなたの年収は上位5%という恵まれたはずの境遇なのに、自身が幸せを感じず満ちた生活を送っているという認識がありません。

もし仮にお金を持っていることが幸せの条件として、その基準を「年収」という誰でも分かりやすいものに例えた場合、あなたは人類の5%の方しか到達出来ない「超幸せ」の選ばれし人であるはずなのです。

さてさて…

この例を見てお気づきかと思いますが、結局のところ幸福か不幸かということは外的要因が影響するのではなくて、自分自身を取り巻く環境を受け止めて、どう捉えて感じるかということが全てであり、仮に年収が1000万円を超える人でも不幸と捉えている人は客観的に幸せだとしても、不幸なわけです。

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人は潜在的に不幸に目が行き、わざわざ不幸を見つける生き物である

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もしあなたが今、幸福ではなくて不幸と感じているのは自分でそのように思い込んでいるか、もしくは自ら不幸を求めているからではないでしょうか?

不幸を求める?!そんな馬鹿なことをする人がいるものか!

おやおや、そんな方がおられないと言い切りましたね?信じられないかもしれませんが、人は潜在的に不幸を求めて行動を選択をするというのは不思議なお話しでは無くて、むしろこうした「不幸を求める」ことは正常な行動なのです。

「ネガティビティ・バイアス」という言葉をご存知でしょうか?人は生まれ持った能力として不幸を見つける能力が高く、逆に幸せを見つける能力が低くなっているのですが、それを表した言葉です。

一見不思議なお話しに聞こえますが、人の脳は幸福な出来事よりも不幸な出来事の方が記憶に残りやすい仕組みがあります。

神経心理学者リック・ハンソン博士によると長い人類の進化の過程で、人間の脳は「ネガティビティ・バイアス」と呼ばれるポジティブなことよりもネガティブなことに対して敏感に反応する習慣を進化させてきました。

これは人類が進化の過程でいつ降り掛かってくるか分からない様々な危険から身を守るためには「今より少しでも安全を確保する」為に必要なものでした。

人類は進化の過程で幸せよりも不幸を探そうとする能力を手に入れているのです。

この「ネガティビティ・バイアス」により人は幸福な記憶よりも不幸や不満といった、満たされない気持ちや孤独感をより強く感じるわけで、こういった不幸を求める行動は脳として正常なしくみなわけです。

その結果、人は幸福でも不幸でもないただの事象(出来事)を勝手に悪い方に捉えるようになります。

また、客観的に見て幸せな状況であったとしても、悪いところに意識が傾くことにより、人はなんでもない些細な出来事に対して不安になったり不幸と感じて満たされないと嘆くわけです。

幸福や不幸というのは外的要因で決まるものではなく、その事象を受け止める人間の気持ち次第で幸福か不幸かが決まる

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人が幸せで満ちている人生を送れているかということについては、周囲の人間が判断するわけではなくて、本人がどのように感じているのか、物事をどう捉えるかということについてここまでお話ししてきました。

しかしながら人は脳の構造上、不幸に対して敏感であり、些細なことからわざわざ不幸を見つけて勝手に「不幸だ!満たされていない」と苦しんでいるのです。

では幸福についてはどうでしょうか?

幸福には「宝くじが当たった」「大学に合格した」等の大きな幸福もありますが、そういった出来事というのはめったに起きるものではありません。

しかし、「電車で椅子に座れた」「仕事がうまくこなせた」と言った小さな幸福というのは日常の生活を送る中でそこらじゅうに生まれては消えていきます。

こうした「小さな幸福」を気が付く事が出来るかどうかということが、人が幸福になれるかどうかに関係し、小さな幸せの積み重ねが大きな幸福を生みます。

ベンジャミン・フランクリンの名言で以下のようなものがあります。

人間の幸福というのは、滅多にやってこないような、大きなチャンスではなく、いつでもあるような、小さな日常の積み重ねで生まれる。

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ベンジャミン・フランクリン(英語: Benjamin Franklin, グレゴリオ暦1706年1月17日<ユリウス暦1705年1月6日> – 1790年4月17日)は、アメリカ合衆国の政治家、外交官、著述家、物理学者、気象学者。印刷業で成功を収めた後、政界に進出しアメリカ独立に多大な貢献をした。また、凧を用いた実験で、雷が電気であることを明らかにしたことでも知られている。現在の米100ドル紙幣に肖像が描かれている他、ハーフダラー銀貨にも1963年まで彼の肖像が使われていた。

勤勉性、探究心の強さ、合理主義、社会活動への参加という18世紀における近代的人間像を象徴する人物。己を含めて権力の集中を嫌った人間性は、個人崇拝を敬遠するアメリカの国民性を超え、アメリカ合衆国建国の父の一人として讃えられる。『フランクリン自伝』はアメリカのロング・ベストセラーの一つである。

引用元:ベンジャミン・フランクリン – Wikipedia

幸せを掴み「幸せで満ちた人生を送っている」と自覚するためには、大きな幸福を探すのではなく、日常的にそこら中にある小さな幸福に目線を向けるだけで良いわけです。

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脳が健康であれば人は幸せを感じるが、脳が不健康だと幸せを感じない

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人が幸せを感じるために重要な条件があるのですが、さて問題です!それはいった何でしょうか?

重要な条件…? なんだろ?…やっぱりお金?

いえいえ、その話は先程終わりました。すごく当たり前で見落としがちで気が付かず、自覚しにくいことですが、人が幸せを感じるためには「脳が健康であること」が重要な条件です。

では脳が不健康だとどうなるのでしょうか?

そもそも脳が不健康というのはイメージしにくいかもしれませんが、脳も臓器の一つであるため「胃の調子が悪い」というのと同様に、「脳の調子が悪い」という状況は発生します。

では「脳が調子悪い」ときはどういった症状がでるかというと、以下のような症状が出ます。

  • イライラして落ち着きがなくなる。
  • 理由なき気分の落ち込み。
  • 理由のない不安感、孤独感、疎外感等の憂鬱な気分になる。

脳も臓器であり、不調の時は本来の働きをしません。例えば神経伝達物質のひとつであるドーパミンは至福感、幸福感を感じさせる物質ですが、このドーパミンの分泌量が減衰すると集中力ややる気が低下して無気力になり、憂鬱感を感じるようになります。

ドーパミン(英:dopamine)は、中枢神経系に存在する神経伝達物質で、アドレナリン、ノルアドレナリンの前駆体でもある。運動調節、ホルモン調節、快の感情、意欲、学習などに関わる。

引用元:ドーパミン – Wikipedia

脳の状態の健康を保つということは幸せを感じやすくするためにも必要なことであり、しっかり栄養のある食事と、十分な睡眠を摂るということは「幸せで満たされた人生を送る」ために必要なことなのです。

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不幸な出来事から目をそらすのではなく、その出来事を受け流せることが必要

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人間である以上感情が常にあるため、気持ちの浮き沈みは起きますが、こうした気持ちの浮き沈みにより「幸せだ」「不幸だ」と一喜一憂している事実をどのように思われますか?

幸せや不幸といった感情は、事象をどのように受け止めるかといったことや、脳の健康状態により左右され、無意識に不幸を求めようとしているいった様々な要素で決まります。

しかし冷静に見れば出来事には「幸せ」も「不幸」もなく、ただの出来事である”事象”に過ぎません。

この事実に気がつけば「幸せだ」「不幸だ」といった感情はコントロール出来るものです。

不幸な出来事があれば目をそらすのでは無く、不幸を感じないように”一つの事象”として受け流すことが出来るのが一番です。

流石に「不幸を感じないように”一つの事象”として受け流す」までに達観するのはなかなか難しいものですが、気持ちの落ち込みや不幸と感じて、満ちた気分にならず落ち込んでいるのは、脳がそのように捉えて感じているだけのことであって、出来事自体には「幸せ」も「不幸」もありません。

幸せなのか不幸なのかということは出来事である”事象”をどのように捉えるかであり、受け止める人の意識でどうにでもなるものと認識するだけでも、人生における悩みの大半は些細な取るに足らないものに置き換わります。

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最後に

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ここまで幸せや満ちた人生を得るための単純な方法について、少し深い話を軽い気持ちで記事にまとめてみました。

軽い気持ちで書き始めましたが、結構な文章量になってしまいましたが、私は幸せや不幸といった気持ちは脳がどのように事象を捉えているのか次第であり、外的要因で決まるものではないとも考えています。

また、いつも幸せで満ちた気持ちで過ごすためには「小さな幸せを見つける」「脳の健康状態を保つ」事が重要で、一時的に気持ちが沈み落ち込んだときは、「ああ、脳が疲れて栄養が足りてないんだな? パフェでも食って寝よう!」という感じに捉えるようにしてます。

悩みは美味しいもの食って寝れば吹き飛ぶという経験をされたことはないでしょうか?それは偶然などではなく、脳がそのような仕組みになっているからです。

気分が沈み落ち込んだとしても大概のことはしっかり栄養を摂ってぐっすり眠れば気分は良くなります。

それで気持ちが回復しない時は、わざわざ脳の「ネガティビティ・バイアス」により、幸福な出来事よりも不幸な出来事対して敏感になり、幸福でも不幸でもないただの事象(出来事)を勝手に悪い方に捉えているだけなのです。

本日のお話しした内容は以下の書籍で詳しく触れています。人生の幸せを掴む単純な考え方を知りたい方は是非読んでみて下さい。

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