こんにちはユレオです。
世の中には多くの企業がありますが全ての会社が法律を守り、会社の利益とともに社会貢献を考えたり、「顧客の為」「社員の為」というような聖人君主な考えを持っているわけではありません。
会社という組織は純粋に「利益を追求する集団」である為、利益の為には何かを犠牲にするときもあり、それが「経費」であれば健全ですが、世の中には犠牲の対象が「社員」の場合もあります。
こうした社員を犠牲にする会社は一般的に「ブラック企業」と呼ばれ、極端に年収が低かったり、常識を逸脱する忙しさであったり、パワハラが横行する職場であったりと様々な基準があります。
本日は私が以前勤めていたブラック企業で有名な某大手ゲーム会社「㈱〇〇〇」を辞めて転職するに至った経緯をお話ししたいと思います。
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◆記事の目次◆
本記事の内容
- ブラック企業の定義について。
- 勤めていたブラック企業の実態について。
- 私は将来に向けたキャリアアップを目指すようになった。
本記事では「ブラック企業」の言葉や定義がどのように変化したのかを解説しています。
また、私が勤めていた某大手ゲーム会社を辞めるに至った経緯と、その後の私の行動選択について記事にまとめています。
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ブラック企業の定義とはどういったものなのか
「ブラック企業」という言葉が出来たのは、意外と古くて1990年代にはあったと言われています。
元々「ブラック企業」として使われたのは、暴力団などの反社会的勢力との繋がりを持つ企業を指す言葉でした。
しかし、2000年代には労働基準法を無視したり、長時間労働が当たり前であったり、社員に残業代を支払わない「サービス残業」を強制する企業を指す言葉として定着しました。
時代と共に「ブラック企業」の定義は変化し、現在は以下のようになります。
若者を大量に採用して「過重労働」「違法労働」「パワハラ」によって使いつぶして次々と離職に追い込む企業や、給料を支払わない労働である「サービス残業」を強要したり、サービス残業が前提の事業計画を立てている企業。
この「ブラック企業」という言葉が一般的に知られるようになったのは2008年に発売された以下の書籍の功績が大きいと言えます。
この書籍は、大手ネット掲示板ん「2ちゃんねる」での書き込みが元になった内容で、その後実写映画化されるなど、社会現象となりました。
そして、2013年には新語・流行語大賞で「ブラック企業」が受賞したことで、一般の方が使用する日常の言葉として使われるようになります。
私が勤めていたブラック企業の某ゲーム会社のお話し
私はゲーム業界という少し変わった業界で仕事をしているサラリーマンで、現在も同じような業界にいるため、ゲーム業界歴は長くて様々な企業の内情を知っています。
ゲーム業界は昔からアニメ制作会社と同様に労働環境が悪いことで有名でしたが、2000年代後半に業界全体でゲームクリエイターの労働環境を改善する動きがあり、かなりまともになりました。
本日のお話しは私が20代の頃に勤めていた某大手ゲーム会社「㈱〇〇〇」のお話しになるのですが、この会社は現在も存在しており、有名なタイトルをいくつも販売している業界大手のゲーム会社になります。
私は20代の頃この会社で数年働き、それなりのポジションで仕事をしており、信じられないかもしれませんが、当時20代の身でありながら年収を750万円ほどもらっていました。
ただ、労働時間が異常で、最大で月の残業時間(残業時間分だけです)が270時間を超えたこともありました。
当時はほとんど会社に住んでおり、年間通しても月の残業時間が150時間を下回ったことはありませんでした。
面白いことに、この会社では「裁量労働制」が採用されており、基本的に残業はし放題で、いくら残業しても「残業代」として支払われることはありません。
つまり、残業は全て「サービス残業」で、代わりに基本給が高く設定されていました。
私は当時3つのセクションを取りまとめる仕事をしており、単純に人の3倍仕事をしていた為、かなりの高給取りとなっていました。
しかし、自宅に帰るのは月に数日で、年間の半分以上を会社で過ごす異常な生活を送っていました。
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将来の人生設計が立てられないので退社を決意
「㈱〇〇〇」では忙しいながらもそれなりに充実した感覚で仕事をしていたのですが、今思えば完全にワーカーホリックで頭がおかしかったのだと思います。
結婚もして子供が出来たにもかかわらず仕事で家に帰れないことが平常化したことに、周囲の方が「お前の職場はおかしい」と忠告してくれましたが、それになかなか気づかずにいました。
しかし、そうした状況が続くと、やはり心身がおかしくなってくるもので、あるプロジェクトが終わった時に急に仕事に対する熱意が失われ、冷静に自分の人生が今後もこの形で続いていくことに疑問を持つようになりました。
どう考えてもこんな働き方は30代40代と続けられるはずはなく、勤めている会社では多くの方が1.2年で辞めていくのを見て、将来に向けたキャリアプランを立てることになり、今勤めている会社では将来のビジョンが見えないという事で「㈱〇〇〇」を退社することにしました。
「㈱〇〇〇」を退社するにあたって会社と揉めに揉めた
私が退社の意思を切り出した後、かなり大ごとになり、揉めに揉めることになります。
上司からは「これまで高い年収で雇ってきたのに恩知らずが!」とか「裏切者!この業界で仕事ができないようにしてやる!」「次の転職先を言え!再就職できなくしてやる!」など、罵詈雑言の嵐で、ブラック企業特有の脅しで社員を屈服させる方法を取ってきました。
当時は今のように「退職代行」という企業もなかったので、こうしたトラブルには弁護士を挟むというハードルが高いものであった為、中には会社を辞めることを言い出せずに、うつ病になって社会人としてフェードアウトしていく方を大勢見てきました。
今はこうした理不尽な要求をする会社を辞める為に「退職代行」というサービスが生まれましたが、よくよく考えれば、昔から需要はあったのだと思います。
私は会社側がうつ病で心を壊した社員を「こいつはもうダメ」と判断して、退職を斡旋して追い出しているのを大勢見てきたので、「㈱〇〇〇」のやり方はある程度知っており、罵詈雑言を聞き流しながら退職手続きを進めました。
私は「㈱〇〇〇」に対して最終的に「こちらとしては労働基準監督署にタイムカードを持っていっても良いんですよ?」と言ったことで渋々退社の意思を了承してもらうことになります。
そもそも労働者の意思で職業選択の自由があるので、法律違反をしているのは会社側です。
【日本国憲法では22条1項】
何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する
信じられないかもしれませんが、この会社は今でも日本の大手ゲーム会社10社に入る大企業で、現在の労働環境はどうなっているかは知りません。ただ別の会社と合併をした事を機に給料が大きく下がったとして有名です。
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年収は大きく下がったが将来に向けたキャリアアップが積めるようになった
その後、私は様々な方と出会い、仕事の進め方や仕事に対する考え方を学び、将来に向けたキャリアプランを描けるようになりました。
特に大きな影響を与えてくれたのは後輩の若手社員で、当時「会社に長く勤めることは良いこと」という空気がある中で、しっかりとしたライフプランを持って転職活動をしていたやり手のエンジニアでした。
詳細はこちらの記事で触れています。
自分自身の市場価値をしっかりと理解して、どういった企業が世の中にあるのかというのを常に追っておくことは、将来に向けたキャリアプランの実現に役立ちます。
こうした市場動向を調べることで新しく挑戦したいことが見つかる等、仕事に対して前向きに考えられるようになり、仕事が「生活費を稼ぐ手段」ではなく「自身が成長するための手段」として考えられるようになりました。
その後、私は何度も転職を繰り返して現在の会社で満足のいくポジションと仕事を得られています。
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最後に
ここまで私が以前勤めていたブラック企業で有名な某大手ゲーム会社「㈱〇〇〇」を辞めて転職するに至った経緯をお話ししてきました。
私の過去の経歴をお話しする際に、多くの方が「20代で年収750万円ももらってたのに何で辞めたの?もったいない!」と驚かれます。
確かに当時はその年収を捨てることは後ろ髪が引かれる思いでしたが、単純に労働時間が一般の方の3倍は働いていたわけですから、時給換算だと安いものです。
「㈱〇〇〇」はブラック企業体質がひどく、将来に向けたキャリアプランが建てられないことから、私は転職を決意したのですが、揉めに揉めることになりました。
当時は会社を辞めるために弁護士を立てるといったことも珍しくはありませんでしたが、今は「退職代行サービス」がいくつもあり、また企業側もブラック企業の烙印を避けるために労働者に対して強く出れないようになっています。
そういった意味で今は良い時代になったと感じていますが、それでも会社が退職を認めてくれないという理不尽な思いをしている方は、未来を開くために「退職代行サービスのNEXT」を利用してみはいかがでしょうか。
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